だじ’s blog

現代教育批判と若手教師の教育実践記録

一教師として現在の「学校」と向き合うために~現代教育批判と若手教師の教育実践記録~

 

私は現在、公立高等学校の正規教員として働いている1人の若手社会人である。

 

現在の学校(初任校)で働き始めて3年目となるが、このたった2年と少しで「外」へと発信したい内容があまりにも溜まりすぎた。

 

最初は学校内や周りの友人・先輩に相談したり、愚痴をこぼしたりしていたが、自身の気休めになるだけで根本的な解決にはならないと思い、学校に関する自身の考えを社会に発信する手段としてこのブログを活用していきたいと考えている。

 

実は何度か雑誌やウェブサイト等を通して執筆をさせていただく機会があったのだが、内容や時数が制限されたりとその自由度がネックとなると感じたため、並行しながら本ブログを書き進めていくこととする。

 

この際だからはっきり書かせてもらうが、それをしなければならないという「使命感」に駆られるくらい、現在の学校では異質なことが多いのだ。後々一つ一つしっかりと書いていこうと思う。

 

 

さて本題に移ろう。誰もが体験してきたであろう学校生活。きっと甘酸っぱい思い出でいっぱいだろう。私もそうであった。(そのような憧れから現在の職に就いたわけだが…。)

 

そんな誰もが体験してきた「青春の思い出」だからこそ、その在り方にはなかなか疑問を持つことは難しいだろう。

しかし、いざ大人になって一つ一つを丁寧に紐解いていったとき、その在り方に疑問を持つことはないだろうか?

 

例えば、「部活動」である。日本では当たり前のものとして定着してはいるが、週に5,6日も同じ活動に取り組み続けることやそんな頻度で取り組みながらもそのサービスを無料で受けられる、ということに疑問は感じないだろうか。

 

また、「校則」はどうだろうか。ツーブロック禁止、肌着の色指定、校内恋愛の禁止などなど…いずれも筆者が学生生活のときに存在していた校則の例であるが、改めて考えてみると権利の剥奪ではないだろうか。面白いのは校則を守らせる教師が校則を自ら破っており、注意された際にそのことについて言及すると、「先生は大人だから」と(笑) 今考える論理破綻もいいところであるが、意外と同じような経験をされた読者の方は多いのではないだろうか。

 

ある読者にとっては「勉強」もそうかもしれない。教室では毎日ただ机に座り50分間も30人以上が同じ方向を向き、教師の説明を聞き続けている。そして、将来使うかもわからない勉強に様々な感情と向き合いながら取り組む。(時には塾などの多大な課金システムを活用しながら…)さらに、義務教育である中学校まではこの勉強は「強制」である。(環境によっては高校以上も半ば強制のようなものだろう。)何故、そのようなことをしなければならないのか。

 

挙げだすとキリがない。

実は、現在はメディアの発達もあってか、このような日本の学校に疑問を持つ生徒も相当数増えてきている。このような疑問に、現場の一教師として真摯に向き合っていきたいと考えている。まあ、実際に蓋を開けばその異質性を再認識する羽目になるのだが…(笑)

 

前置きが長くなったが、このブログを書く目的は2つである。

 

①学校に関する様々な「疑問」に対する自身の考えや学校の在り方に関する「異質性」を外に向けて発信していくこと。(可能であれば改善の糸口も探っていきたい。)

②このブログを訪れてくださった方々との「対話」を通し、自らの考えを深めていくこと。

 

現在の学校の在り方に異議を申す「現代教育批判」と学校に対して疑問を持ちながらも生徒たちと向き合う「若手教師の教育実践」の記録として本ブログを活用していきたい。

 

以上のため、仕事の合間を縫って執筆に取り組めるよう、頑張りま~す!